は・ハ・歯の博士の四方山話
人生色々ありまして、子どもの歯医者になって30年。 話したい事、残しておかなければいけない事、思うがままに自己表現できる環境に、やっとこさっとこなりました
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子どもの歯医者の医療文化!
日本人の多くが、子どもの頃にはムシ歯で嫌な思いをしたのに、
大人になっても問題は解決されないまま、そして晩年には、入れ歯で悩む。
こんな姿が日本国民の口の中の現状だと言われています。
鮑のコリコリした触感を懐かしんだり、漬物をバリバリと今一度食べてみたい等など、
歯に問題を抱えていることが、年をとった証のごとくに日常的に語られています。
歯、目、何とかと言っては公衆の目も憚らず、話に花を咲かしてみたのだが、
歯と目は衰えても仕方がないとしても、
歯、目、何とかの何とかに至って初めて、ハタッ!と
人生の悲哀を一瞬なりとも感じてしまう男の儚さ。
男とはしょうもない生き物です。
いやいやチョット愚痴っぽくなってしまいましたが、
今回の話の導入としてはまずまずではないでしょうか。

ところで、私は歯医者になってから早くも30年を過ぎようとしています。
とは言うものの、まだまだ臨床家(毎日治療をして生業を立てている者)としては
ヒヨッコであります。そのヒヨッコのおしゃべりに、このような紙面を割いて頂き恐縮しております。
昭和48年に大学を卒業して以来、子どもの歯科治療しかしていませんので、
歯医者のヒヨッコが人間のヒヨッコを相手にしているのですから、
治療の現場はだいたいご想像がつくと思います。そんな喧騒の中から、
医療には文化的思考や文化的方法が不可欠であることを学んだのであります。

医療は、楽しくなければ、快適でなければ、
愉快でなければそして美しくなければならないのだということです。
医療を受ける側の究極の目的は、
当然のごとく病が完治することですが、現代では、
人々の希望が期待となって医療を行う私達に文化的なことを
要求しているのであります。
予防医学がその最前線に位置しているのです。

いつの間にやら、日本国民全体が、健康志向型国民に変身しつつあります。
単なる流行の一つと考えることはできません。でもチョッと変なくらいに
兎にも角にも、猫も杓子も抗菌、滅菌、きれいにきれいに。
チョット批判的になりましたが、悪いことばかりではありません。

そして私が感心することは、楽しく運動を続ける人が多くなったことは、
昔と大きく様変わりしていることです。
楽しくなければ、運動は続きません。
楽しくなければ健康は維持できません。
愉快でなければ、お酒も毒です。
快適でなければゴルフは地獄です。
キレイでなければエアロビは廃れます。
今では、健康であることは、文化度が高いとみなされるのです。
ですから健康を維持するための疾病の予防には、
文化的要素が不可欠なのです。医療は文化なのです。
教育文化、育児文化、食文化など多くの文化用語が存在しますが、
医療文化という言葉は認知されていません。
私は、私達の医療を子どもと母親、父親そして家族のための
医療文化の実践にしたいと考えているのです。
子ども達にムシ歯がない。
そんな状況を楽しく、愉快に家族みんなで快適な生活を送れればと、熱望しています。
そして今時の子が大きくなり年齢を感じるまでには、
歯、目、何とかなどと、老化の象徴としての歯ではない時代の到来を
密かに考えているのであります。

切歯扼腕 (せっしやくわん)
 近頃、街を歩く若者達の服装から感じられることは、
締りがないと感じられる向きもおありでしょうが、
それはファッションの世界つまりハヤリであります。
私たち年齢の者にとっては、だらしなく汚く見えるのですが、
「凛」としていないのがハヤリということになります。また、
しゃべり言葉がやたらとだらしなく締りがないのは、
日本語の乱れから生じた教育的問題とみなす方が妥当なのでしょうが、
TV画面の人気アイドル達は、当然のように「タメ語」で語り合い、
年の差を感じさせないことがカッコイイようです。
ことほどさように、「凛々しい」とか「凛として」などは
死語同様に扱われている次第であります。

 若者の表情を見ますと、「口に問題あり」なのでして、
ここいらから私の専門となる口の話になるわけですが、
皆さん服装や言葉と同様に口元に締りがない子ども達が
増えていることをご存知でしょうか? 
真一文字に口を閉じ、「凛」とした子が少ないのです。つまり、
若者の口がいつもほんの少々開いているのであります。
ひどい子になりますと、テレビなどに夢中になると、
ポカンと大口を開けているわけで、脳の配線がどこかで違っているのかと
疑いたくなるような光景に瞠目することになるわけです。
人気アイドルのように、にこやかに微笑んで、
上唇と下唇がほんの少し口が開いて、
白い歯がキラリと光っていると言うわけではないのです。
本当に間が抜けている感じの口の開き方でして、
地下鉄の車内で若い娘をシゲシゲと観察してみてください。
オット!あまりジロジロ見ると痴漢と間違われますので、
ご用心、ご用心、お気をつけ下さい。
日常生活での立ち振る舞いや仕草には、
親も子もいたって恬淡(てんたん)でして、多くのこだわりを持つことを
互いに避ける傾向にあるようです。
「口を閉じて鼻で息をする」私たち年齢層には当たり前なことなのでしょうが、
それができていない子が多いのです。
親が注意をすると、「風邪ひいてる」とか「苦しい」とか
「ゴハンが美味しくない」などの遁辞(とんじ)が発せられれば、
親は諦めることになります。
とにかくこだわらないのが家族融合の秘訣のように。

 私たちでも風邪で鼻詰まりの時など、
食事の味気なさマズさは例えようがありません。
そんな食事をしていることを考えると、
鼻で呼吸できない子は可愛そうです。
美味しいはずの物も美味しく食べていないのですから。
しかも、食する時などにペチャペチャ音をたてたり、
食塊をうまく飲み込めないので、食事の時間が異常に長くなるわけです。
あるいは「サ」行「タ」行の発音が怪しい。
舌っ足らずなしゃべり方をする。開いた口を見てみると、
歯と歯の間に舌が位置している。などなどのだらしなさが見られますが、
意外と家族にはわかっていません。
お孫さんと楽しく食事をしている時に注意するのは、
年寄りが嫌われる所以ですので、お勧めできませんが、是非とも観察してみてください。

「凛」とした生活習慣を体得するには、鍛錬しなければなりません。
普通のことが当たり前のようにできないなどと嘯(うそぶ)いていると、
親や家族に注意を受ける。
急場しのぎで上手に振舞ってもまた悪い癖がでる。
そうして同じような注意を受ける。すると悔しさも増幅し、
切歯扼腕しながらも身に付けていく。
歯軋りするほどに口惜しがり、
腕まくりして悔しがる。

そんな体験は子どもの頃には必要不可欠な鍛錬ですが、
現代社会ではどうでしょうか?

とまあ、私の愚痴みたいなものでしょうか!
口中調味(こうちゅうちょうみ)
 世の中の話の種として目を例えにすると、「目は心の窓」とか、「目先がきく」などと、口とは比較にならないほどに物事の良い例として用いられているようで、いわゆる口よりも上品な扱いになっているわけです。
口と言えば「口は災いの元」、「口さがない奴」などなど、あまり上品な使い方は目ほどにはされていないようであります。挙句の果ては「目は口ほどにものを言う」となりますれば、『目の勝ち!』となってしまうわけであります。しかしですネ、私は歯科医の端くれとして、どうもこのような口の扱われ方に不満を抱かざるをえないのであります。老人になる兆候としての「歯、目、何とか」など、歯が一番最初にダメになるなんてのは、どうもいけません。

勿論、目も鼻も耳もそれぞれが大切な役割を持っているわけですから、どれが一番大切な器官であるなどと言っているのではないのでして、世の中どういうわけか、口は不潔な雰囲気を持ったイカガワシイ物に例えることが多いような気がするのです。私のような下賎な者にとりましては、赤い紅が塗られた唇をベロで舐める写真など想像するにつけ、浅ましくも男の本能としての性を感じ、ドキリとしてしまいます。ところが、人が生きていくために物を食することのできる、非常に大切な器官であることは皆様十二分にご承知だと思います。私の後輩などは「歯は臓器である」などと言い、著書までだしております。物を食するだけの役割でなく、話をするための器官になったり、呼吸をする役割も持っているといった具合に、人知れず世の中のお役に立っているわけであります。

ここで、「物を食する」ことに焦点を絞ってみますと、私は終戦後二年目にして生を受けましたので、質素な食習慣に生きてきた経験を持っており、何でも食べなければならない時代に生まれたのです。最近の若者達の食習慣と私たちの当時の食習慣とを比較してみますと、日本人の大きな文化の流れを見ることができるのであります。昔は一汁一菜を大切に食しました。噛めば噛むほどに味が増すのです。子どもの頃にはそれが嫌で嫌で早くにちゃぶ台から逃げたかったことを思い出しますが。

日本人の味覚は他の国の人たちよりも高感度だと言われています。その大きな要因が「ご飯」であることをご存知でしょうか。ご飯を口に入れ数回噛み砕いて、おかずを食す。そして口の中で混ぜるように噛み砕く。そしてゴクン。またご飯を食べ、と言った具合に、ご飯にいろんな副食を混ぜ合わせながら食す。それを口中(こうちゅう)調味(ちょうみ)といい、日本食の特徴とされています。ご飯の淡白な澱粉質に副食が混じり、しかも毎回ご飯と副食の割合が異なれば微妙な味の違いが味覚の発達に関係しているのだそうです。『口中(こうちゅう)調味(ちょうみ)』忘れてはいけない日本人の固有の文化なのです。

ところが最近の子どもたちの食事の様子は、ご飯はご飯だけ。おかずは一品ずつ好きなものから食べていく。一つのおかずが終わってから、つぎのおかずといった具合で、口中調味をしないのです。まさしくハンバーガーで育った子どもたちが溢れているのです。日本食は、かすかで微妙な味付けで食材を生かし、かつ口中調味で個人個人の味覚を作り上げるのに対して、さてさて外国の食べ物は?一度ゆっくりと考えながら食してみると面白いのです。

このように飽食の時代という総論的な見方より口中調味などと言った各論的見方で食することを考えてみると、口の役割や歯の大切さが楽しく理解できるのではないでしょうか。よく噛んで味を楽しむこと、これは健康であるための秘訣だそうです。よく噛めば腹八分で満腹感を得ることができます。ですから年配の方には是非ともお勧めしたいことですが、それにも増して次世代には食することは楽しいことを教え、そして口中調味を伝えることも私たちの世代の勤めだと考えますが、いかがなものでしょうか?

子どもとメディア
私はNPO法人子どもとメディアの理事をさせて頂いておりますので、
今回は定期誌の12月号に寄稿した巻頭言を紹介しましょう。

今人気の映画「3丁目の夕日」は、
昭和33年(1958年)に東京タワーが出来る頃の人情話です。

その第1作目では、鈴木自動車整備工場で働く東北出身の「ロクちゃん」が
腐ったシュークリームをこっそり食べて食中毒になり大騒動が起きます。
その当時のシュークリームは超高級洋菓子で、捨てるのは「もったいない」、
腐らせるなんてとんでもないといった「食への賛美」は日本国民の総意でした。
今でこそ日本人の常識として食品の賞味期限や食の安全性の社会的認知度が
高いのですが、その後、「飽食の時代」を経て、「食と健康」「食の安全」
今では「食育」と称し、食べることを教育として捉える時代を
「ロクちゃん」の時代に誰が予測できたでしょうか?
しかしながら、人の日常的な営みであるはずの「食する」ことまでも
教えなければならない時代であることも事実です。

そこでこの映画のもう一つの重要な見所は、
小さなテレビを囲んで隣近所総出でテレビを見て、
心うきうき興奮のルツボと化し、
手が届くところに触れてはならない有名人が目の前で話をし歌を歌い、
私達貧乏人に話しかけてくれている情景のリアリティーです。
私の子ども時代には何度も経験したことで、
現代の若者達には信じられないような場面ですが、
日本社会にテレビなるものが出現した時のこの現象は事実なのです。
子ども達の外遊びが集中する時間帯は放送休止時間帯で、
放映時間が長くなるにつれ、大人も子どももテレビの前に釘付けになり
数十年が経過しました。
テレビからゲームへ、ゲームからパソコンやケイタイへとメディアは
限りなく拡張しています。

腐りかけたシュークリームを食べる人はいなくなったかもしれないのに、
腐りきったテレビを「腐っている」ことに気付かず見続ける人が多すぎます。
「食」を身体の健康に結びつけるなら、「メディア」は心の健康に直結します。
この映画にはノスタルジーだけでなくリフレクション(反省)を感じさせられるのです。


テーマ:思ったこと・感じたこと - ジャンル:日記

内視鏡検査
今日は、大腸検査の日、
早朝から、なんと朝の5時過ぎから
下剤飲料水を飲みっぱなしで、満腹状態。
それでもやっと1リットル。
残すところ1リットルを30分で飲み干さねばなりません。

先週の今日は、胃カメラの検査で合格をもらって
一安心。

今回は久しぶりの大腸内視鏡検査。ちょっと心配。
便の検査は毎年していたのですが、内視鏡検査は
サボってまして、3,4年ぶり。だから心配です。
なにせ、癌年齢、真っ只中ですから。

こんな時にと思いながら、昨夜のTV放送に
「癌と上手に付き合うための」全国活動が放映され
感動しながら見てしまいました。癌患者の人たちが
一同に集まり24時間かけて運動グランドを休みつつ
歩くのです。そのうち仲間ができ、勇気をもらい
「癌」と戦いながら、受け入れていく姿に、昔との
違いを今更ながら教えられた感じでした。

残された人生について、少々考えさせられそうな
48時間になりそうです。