は・ハ・歯の博士の四方山話
人生色々ありまして、子どもの歯医者になって30年。 話したい事、残しておかなければいけない事、思うがままに自己表現できる環境に、やっとこさっとこなりました
10 | 2009/11 | 12
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -

4.「Bunkajin:文化人」・・・子どもは文化人、だから五感が命
リズム、メロディー、ハーモニーと言えば、音楽の三大要素。
そして乳児が音楽を聞き分けることができる年齢は何歳かを調べた人がいます。
その結果は、なんと生後6〜8ヶ月頃からだそうで、
この頃には音楽の三大要素を識別できるのです。
すなわちモーツアルトもバッハもベートーベンも聞き分けるのです。
しかも胎児の聴覚が機能し始める出世前3ヶ月頃から、
いろいろな音を記憶の片隅にとどめながら、
はじめて音楽を聞き分けることができるようになるのだそうですから、
赤ん坊の秘めたるパワーとインフィニティーに驚きを感じます。

人は声を出し、言葉をしゃべることから始まり、
歌を歌うという「遊び」に変化していくのだそうです。
丁度歩く、走る、跳ぶことが、遊びとしてのダンスになるように。
このように日常的な動作が遊びに変化する瞬間から
その行動が文化(カルチャー)と呼ばれるのだそうで、
コラムニスト天野祐吉氏いわく、
日本人の文化の起源は農耕民族の「暇つぶし」や「遊び」なのです。
文化人と呼ばれる人たちは確かに遊びの達人ばかりです。
そうすると子どもは遊びの達人ですから
生まれながらの文化人ということになりはしないかと、
納得する私です。

医院内の待合室や治療室での文化人達は、
治療前後は飛んだり跳ねたり踊ったり、
治療中は泣いたり笑ったり奇声を発したりと。
子どもの文化度数は躍動感がありすぎ、私は息切れしそうですが、
治療中は負けてはいけないと競い合うことになります。

このように私たちの診療室では沢山の遊びの達人、
すなわち文化人たちが、集まる場所です。
文化を生み出す源は、人の五感によるところが大きいのだそうです。
ですから、私たちは、人の持つ五感(視覚、聴覚、嗅覚、触角、味覚)を
正しく刺激するような子どもの歯科医院を創造したいと日々思案を重ねているのです。
子どもたちが本物の文化人になってくれるように願をこめているわけで、五感の成長が命なのです。

医療の分野もこの文化的要素を使い治療効果を上げていることをご存知でしょうか。
例えば、病室の壁紙の色使い一つで、病状が良くなり入院日数を短縮できることがわかっています。
人を癒す音を用いることで、心の傷を癒し体に調和をもたらしているのです。
色や音や香りはこれからの医療には欠かせない重要な要素となっていますが、
さて、私たちの子どもの歯科では?!

3.「Bukiyou:不器用」・・・出発点は不器用から
遊びを覚え始めた子どもの姿は、私たちに幸福感を教えてくれます。
ところが、子どもと一緒に遊ぶとなると、その大変さを思い知らされます。
その結果、大人は幸せを感じながらも、思いっきり疲れてしまうわけです。
何故でしょうか?

大人は子どもと一体感を保とうとして、ちょっとだけ無理をして子どもの行動を
「上手ねえ!」とか「かっわいいいー!」とか言って褒めることに満足します。
「すごいねー!」「えらいねー!」「これもできるの!」「面白いねえー!」などと、
ますます子どもをその気にさせ、興奮させていくのです。

しかも、子どもの遊びは、同じ事を何度でも繰り返すことが楽しく気持ちが高ぶり、
好きなことは飽きずに続けるのですから、大人にとっては大変な事になります。
そして、この「お気に入り」と「繰り返し」が微妙に合体すると、
子どもにとっては驚異的な楽しさになるわけで、
終わりのない遊びの輪に大人を引きずり込むのです。

そうなると、子どもを調子に乗せてしまったことを悔やみながら、
大人は困りはて、この魔の輪から抜け出そうとします。
終わりのない遊びの輪に終止符を打つために、
子どもに新しい違った遊びに興味を引こうと誘うのです。 が、
ぜーんぜん、新しいことには反応せずに、ニッコリ笑って、
魔の「もう一回」の繰り返しとなります。

この背景には子どもながらの一徹さと不器用さがあることをご存知ですか。
この不器用さが可愛いのです。この不器用さが愛おしさを倍増させるのです。
そうして、この不器用さがゆえに、子どもは遊びの中で誉められ、
多くの事を学び、身に付けていくわけです。

ですから、大人は子どもの不器用さを馬鹿にしたり、侮辱したりすることはないはずです。
他人との関わりや社会との接点を正常に作り上げるには、この不器用さが子どもには欠かせません。
不器用さを誉められ、一徹さを認められ、ニッコリ笑って、
魔の「もう一回」を繰り返すことが大切なのです。

私は、「忘れてはいませんか?」 と自問し、
「知ってるよ、子どもの不器用さを誉めることでしょう!」 と自答する。
そんな繰り返しの人生が、私の子どもの歯医者の日常なのです。

2.「Ase:汗」・・・目から汗、私は冷や汗ツツツ―!
「目から汗」これは診療中に私が使うビックリ言葉の一つです。
「鼻が渋い」とか「耳が甘い」とか「鼻が辛い」とか。
子どもにはチョッと分かりにくい間違った言葉使いなのですが、
子どもの反応はすっごく良いのです。子どもは特別な感性で理解してくれ、
ビビッと手応えがあるのですから、スゴイの一言、感激!です。

「目から汗」は歯の治療が嫌いで泣いている子に言うのです。
「汗」は元気の源。だから、子どもの目から出てくる水は涙ではなく汗と呼んで、
「弱虫涙」を「強い子汗」の元気印の水に変えてしまおうという私の作戦です。
そんなことを言われた子どもは何がなんだか分からないうちに、
悔し涙や悲しい涙が誉められれば、いつの間にか元気な涙に変わってしまうのです。
しかも、「目から汗」などと励まされ、おだてられ、言いくるめられた子どもは、
元気を出すしかありません。でもこんなこと大人には通用しません。
子どもだからこそ、子どもの持つ潜在能力がこんなところで突出するのです。

泣いていても誉める、励まし、強くする。
泣いていても嫌わず、怒らず、愛おしむ。
泣いていても笑って、笑って、元気印。
私の治療現場での行動基準なのです。そんな気持ちをいつも私は忘れません。

ところで、涙を汗に変えてしまうのは、魔法なんかではありません。
人の汗が出る汗腺や爪や歯や髪の毛は1個の同じ細胞から細胞分裂して出来るのです
ですから汗と歯と涙はどこかに関連があるのだと信じています。

子どもは大人より汗っかき。
赤ちゃんは、おっぱい飲み飲み、汗ダクダク。
そんな力強く生きるパワーが汗です。
赤ちゃんのその勢いや凄さや嬉しさや楽しさは、
まさしく驚異のインフィニティ-(無限大)そのものです。

子どもは目から汗を流し強くなります。
私は、子どもの強さと感受性に驚き、私の非力さに冷や汗を流します。
うまい具合に周りの人に気付かれないように背中をツツツーッと流れているのです。

子どものAからZ、そして驚異のインフィニティーへ!1.プロローグ
なかなか手が出ないブログ更新ですが、
2009年2月より「リトル・ママ」ホームページに掲載を始めた「Dr.はまのの子育てコラム」
に加筆して、子どもにかかわるお話をお届けします。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「お母〜さん、ただいまあ〜!」 
僕は、お腹空かして外遊びから元気良く帰ってきます。
食卓を囲んでいる家族に向かって、つい今しがた近所の悪ガキに教わった歌を、
大声あげて歌います。メロディーは「キラキラ星」です。
「エ−、ビ−、シ−、ディ−、イ−、エフ、ジ−」
「か〜にが、×××は〜さんだ!」 
「痛いじゃないか!・・・」のところで父親からの鉄拳が僕の頭上にガッツ−ン!
あれ? どうして? 叱られるの? なぜ、なぜ??そして母も4歳年上の姉も知らん顔。
その後の僕は涙、涙の夕食です。

ちなみにその後の歌詞は
「痛いじゃないか、はなさんか!」
「はなしてたまるか、よか×××!」
「エ−、ビ−、シ−、ディ−、イ−、エフ、ジ−」 「か〜にが、×××は〜さんだ!」 なのです。
×××は、女の子にはなく、男の子にあるあの出っ張りです。

ところが、その悪夢の「ABC・・」ソングが、ある日突然、変貌を遂げます。
「×××」なしで、「ア−、ベ−、チェ−、デ−、エ−、エフ、ゲ−」と「ABC」ソングを
ドイツ語で歌うカッコいいお兄さんが現れたのです。
僕は感動して、興奮して、その後は「×××」なしでAからZまでドイツ語で歌うことになります。
しかも「キラキラ星」がモーツアルトのピアノ練習曲などとは知らないままに何年も何年も。
何と生意気で嫌味な小坊主でありましたことか!

あれから50余年が過ぎたのを機に、「ABC」ソングでおぼえたアルファベットを使って、
今時の子どもたちを表現してみようと思います。
1回につき1文字、「A」から「Z」まで26文字です。さて何が飛び出すことやら。
僕も不安と期待でいっぱいです。
歯科医療を通して子どもの思考力、行動力などすべての能力が
インフィニティー(無限大:∞)であることを直接子どもから教えられたのですから、
「子どもの∞」を文字で表現できる楽しみと冒険心でなんだかワクワクしているのです。
僕のアルファベットの思い出をプロロ−グとしましたが、
次回からは、アルファベットで綴るチャイルド・ワールドを創っていきます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


子どもの歯医者の医療文化!
日本人の多くが、子どもの頃にはムシ歯で嫌な思いをしたのに、
大人になっても問題は解決されないまま、そして晩年には、入れ歯で悩む。
こんな姿が日本国民の口の中の現状だと言われています。
鮑のコリコリした触感を懐かしんだり、漬物をバリバリと今一度食べてみたい等など、
歯に問題を抱えていることが、年をとった証のごとくに日常的に語られています。
歯、目、何とかと言っては公衆の目も憚らず、話に花を咲かしてみたのだが、
歯と目は衰えても仕方がないとしても、
歯、目、何とかの何とかに至って初めて、ハタッ!と
人生の悲哀を一瞬なりとも感じてしまう男の儚さ。
男とはしょうもない生き物です。
いやいやチョット愚痴っぽくなってしまいましたが、
今回の話の導入としてはまずまずではないでしょうか。

ところで、私は歯医者になってから早くも30年を過ぎようとしています。
とは言うものの、まだまだ臨床家(毎日治療をして生業を立てている者)としては
ヒヨッコであります。そのヒヨッコのおしゃべりに、このような紙面を割いて頂き恐縮しております。
昭和48年に大学を卒業して以来、子どもの歯科治療しかしていませんので、
歯医者のヒヨッコが人間のヒヨッコを相手にしているのですから、
治療の現場はだいたいご想像がつくと思います。そんな喧騒の中から、
医療には文化的思考や文化的方法が不可欠であることを学んだのであります。

医療は、楽しくなければ、快適でなければ、
愉快でなければそして美しくなければならないのだということです。
医療を受ける側の究極の目的は、
当然のごとく病が完治することですが、現代では、
人々の希望が期待となって医療を行う私達に文化的なことを
要求しているのであります。
予防医学がその最前線に位置しているのです。

いつの間にやら、日本国民全体が、健康志向型国民に変身しつつあります。
単なる流行の一つと考えることはできません。でもチョッと変なくらいに
兎にも角にも、猫も杓子も抗菌、滅菌、きれいにきれいに。
チョット批判的になりましたが、悪いことばかりではありません。

そして私が感心することは、楽しく運動を続ける人が多くなったことは、
昔と大きく様変わりしていることです。
楽しくなければ、運動は続きません。
楽しくなければ健康は維持できません。
愉快でなければ、お酒も毒です。
快適でなければゴルフは地獄です。
キレイでなければエアロビは廃れます。
今では、健康であることは、文化度が高いとみなされるのです。
ですから健康を維持するための疾病の予防には、
文化的要素が不可欠なのです。医療は文化なのです。
教育文化、育児文化、食文化など多くの文化用語が存在しますが、
医療文化という言葉は認知されていません。
私は、私達の医療を子どもと母親、父親そして家族のための
医療文化の実践にしたいと考えているのです。
子ども達にムシ歯がない。
そんな状況を楽しく、愉快に家族みんなで快適な生活を送れればと、熱望しています。
そして今時の子が大きくなり年齢を感じるまでには、
歯、目、何とかなどと、老化の象徴としての歯ではない時代の到来を
密かに考えているのであります。